よぜふ、けんめいに生活する。

一人暮らしの大学生、よぜふが自堕落な生活を抜け出し、恥ずかしくない生活を送るための奮闘記をお届けいたします。

自分しか読まないこそ、日記をつけることは大事なこと

自堕落な生活を抜け出すためにいくつか指針を作っています。

ここまでのエントリーで書いてきたことは、まだ効果が見えていないので、評価することができません。

 

しかし、このブログを書き始める前に一つ、今年の元旦から実施している指針がひとつあります。

それは日記をつけることです。

まだ1周間も経っていませんが、いくつか効果を実感することができましたのでご報告させていただきます。

Index

  • 誰も読まない日記をつけることの意味
  • 日記がくれる「生活している実感」
  • 具体的な私の日記の書き方
  • まとめ

誰も読まない日記をつけることの意味

日記はつける人とつけない人とがいます。

私は今まで後者だったわけですが、それはこんなことを考えていたからです。

 

「自分しか読まないものを書くことに果たして意味があるの?」

 

別に他人に読ませるわけではないし、自分だっていつ読み返すかもわからない。

そんなものをちまちまつけるなんて、面倒なだけではないか。

 

こんなことを考えて日記をつけていない人は私以外にもいらっしゃるかもしれません。

とかく、そんなことをする意味が理解できなかったためにつけていなかったのです。

 

その私がなぜ、日記をつけようなどと思い立ったのか。

それは、自分がどのような生活をしているのかを自分で俯瞰できるようになることは、思いの外大事なことだ、と気づいたためです。

 

日記がくれる「生活している実感」

どのような日記をつけているかというと、おおよそ今日の何時に何をしたか、とかそのようなことを書いているだけです。

特別なことは何も書いていません。

 

たったこれだけのことですが、「ははあ、僕は今日こんなふうに一日を過ごしたのか」というのが、一日の終わりや、次の日になって見返せることは意外に興味深いものです。

「今日はこんなことができた」であるとか「ここは明日頑張らなければいけない」というのが、実感を持って考えることができます。

 

日記をつけなければ、このように一日の反省であるとか、目標であるとかは自分の頭の中で考えることです。

しかし、頭の中だけで考えようとするとどうしてもこんがらがってしまいます。

「ああ、あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と考えていると、今自分が一番がんばろうとしていることがわからなくなります。

 

人間の頭はどうしても複数のことを同時に考えることはできないそうです。

私は自分が今、何を考えているのかがわからない状況はとてもストレスに感じていたのですが、日記をつけて一つ一つ文字に起こして整理することができ、具体的な一日の過ごし方をイメージできるようになりました。

具体的な私の日記の書き方

前項で少し触れましたが、私の日記の書き方を紹介いたします。

 

まず、基本的には「何時何分、何をした」というのを書いて並べるだけです。

また、一日の終わりにまとめて書くのではなく、ちょっと時間が開いた時につけています。

まとめて書こうとするとどうしても書き漏らしてしまうことがあるからです。

 

そして、もし何か感じたことがあればその後にくっつけて書きます。

「15:45、何とかの作業終了。今日のうちにここまでできてよかった」

というふうな感じです。

「あ、これやらなきゃ」と思ったこともその都度書き付けて、赤でアンダーラインを引きます。

これは見返したときに見落とさないようにするためです。

 

そして、このように書いた日記を寝る前と、起きた時に見返しています。

そこで「そうか、今日はこういうことをやらなければいけない」というふうに

その日一日の過ごし方のおおよそをイメージできるようになりました。

 

おかげで、ちいさな目標ならばきちんと毎日こなせるようになったと感じています。

まとめ

ここまで私なりの日記についての考え方を書いてきました。

自分がどのような生活をしているのかを俯瞰できるようになると、一日一日で無駄にすごした時間が減っていくことでしょう。

このエントリーを書くまでに立てた指針を実行していくためにも、この習慣は必ずつづけます。

皆様の中にも、どうも自分がだらだらと生活しているように感じている方がいらっしゃいましたら、ぜひご一考ください。

 

それでは、今日はこのへんで。